きみきみのぼちぼちいこか~

ケアマネや骨盤からだ丸ごと調整、ご近所の寄り合い場「寄ってっ亭輪楽」開催中

Take a look at this

【老いを生きるということー精神病理とケアー】 竹中星郎著

  08, 2012 21:28
昨日、竹中星郎さんの講演会が神戸市内で開催され訪れました。

うちの職場でも中央法規からでている、「月刊ケアマネジャー」を購読しているのですが
その中で掲載されている”老いのパンセ”を欠かさず読むようにしてます。

一年前発売と共に購入した本です。
途中まで読みほったらかし(・・・すいませんw)
講演を聴きに行って一気に読みましたw

老いをいきるということ
【老いを生きるということー精神病理とケアー】

竹中さんの印象としては、とても真面目そうで難しそうな話をされる
お医者さんなのかと思っていましたが、
とつとつと今までの臨床で出会ってきた方たちのお話をされていました。

その方の生活を観ることで
痴呆の方にとっての”日常”を送ることができる。
しかしながら私たちは、
異常と呼ばれる行動の中での対応ばかりを求めようとする。

認知症だから困ったではなく
一つ一つの行動を病理だけでは解決できない
性格や習慣、今までの生活、思考、環境様々なことを照らし合わせて
初めて病理として治療が開始されなければならないということを聴いて
本当に納得してしまいました。

みんながひとくくりにしている「認知症」という病について
竹中さんは疑問を投げかけています。

たとえば
「○○ちゃんはいつくるのかなぁ?」
朝から晩まで5分おきに聴く。
「さっきもいったでしょう!」
そう言いたくなるし、痴呆が進んだと思われがちであるが
本当にそれが痴呆という症状であれば、○○ちゃん自体を忘れ
○○ちゃんが来ることすら記憶にない。しかし○○ちゃんが来ることは覚えているが
いつ来るかわからないということを尋ねているのは確認行動であって痴呆ではない。


( ,,-` 。´-)ホォー
確かにそう言う人はたくさん出会ってきましたw

人間は老いと向き合っていく中で
様々な葛藤や
環境に順応しながら生きていく。
少しずつ体力も衰えて
その環境から新たな環境へ転換できないため
その環境を受け入れようとして受け入れられない事がある。
それが異常としてとらえられる行動となる。


*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:゚・:,。*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆


その昔、老人保健施設の認知症棟(閉鎖棟)で働いていた時、
今よりもっと一生懸命で、今よりもっと未熟だった私は
「できないことの支援は何かをすることだ」と必死だった。

怒る人がいると
こちらも10の力をもって説得する。
さらに10怒りをぶつけてこられるわけです。

(´д`ι)悪循環w

ある夜勤の時、みーんな起きています。
全く眠ってくれる気配がありませんw

消灯したフロアで
面倒になって腰かけていました。

すると起きてさまよっているお年寄りが集まってくるのです。
横に座ったり、
椅子を持ってきて座ったり
別の椅子に座ってくのです。
さながら座談会(-∀-`; )

何を話すわけでもなく
ただ
ぼんやりと
横に座ったいつも癇癪を起こすおばあさんに尋ねる。

「水・・・いる?!」
「うん、飲む!」

コップに入れた水をおいしそうに飲み干す。
「ぷはぁぁぁぁぁ。うめーっ!(((*≧艸≦)」
「これ・・・なんですか?!」
「これか?!これは・・・酒や♪」
「そっか酒かぁ・・・美味しいねぇ」
タダの水も日本酒に見えてくるほど良く似合っている。

別のおじいさんが尋ねてきた。
「ねえちゃん。この道もうちょっとで通れるからな」
「ん?あぁ、整備してくれてますの?!ありがとうございます」
「おうっ!まかしとけ」

この方はどうやら夜警をしてくれている様子w

ダウンライトの中
みんな何かの目的をもって行動している。

”眠りたくなったら・・・寝るかw”

そう思って見守っていると
そのうちみんなうたた寝を始めたり、
寝る場所を探してうろうろし始める。

一人ひとりお部屋へ誘導したり
動けなければそのまま布団を持参したりして過ごすと
さっきまでざわついていたフロアはものの見事に静けさを取り戻した。

本当の夜が訪れた瞬間
深夜を回るとみんな体内時計がちゃんと夜を知らせてくれる。

そりゃそうだ
施設は21時に消灯を迎える。
そんな早くに体内は夜を告げない。


理論や方法論ではなく
その人をそのままの行動を見守り
必要なところに支援の手を差し伸べる
それがケアの醍醐味なのではないかと思い始めていたころの出会いを
そっと思いだす

そんな一冊でした♪


  •   08, 2012 21:28
  •  0

COMMENT 0

Post a comment