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刺激を受けた日々 ②

  31, 2012 23:46
刺激を受けた一日目が終了し、二日目大阪の相愛大学に行ってきました♪

「内田樹よるみんなの現代霊性論」という3日間集中講義というものに応募していました。

まぁ150人定員だから当たるんだろうなぁ~って思ってたら
なんと*゚Д゚)*゚д゚)*゚Д゚)エエェェ結構な倍率だったらしい。
ちょっと仕事の関係で1日目と3日目だけの参加となるのですが、
まず1日目に参加してきました。

内田樹さんはこんな人(ブログはこちら)

一日目のゲストは 森田真生さん
この方数学研究者でして、各地で「数学の演奏会」なるものを開催しています。
(この9月23日大阪でも開催されますよっ→詳細はこちら

数学に拒絶反応のある私ですw
本当にね計算が苦手なんですよ。
数学なんて役に立たん・・・派だったんですが、
内田さんの講義と共にすごくすごく興味がわきましたよw
(*゚Д゚*)ェ…我ながらびっくりです。

まず霊性=スピリチュアルということに、そもそも興味がないのになぜか応募した私。
全く信仰心がないかと言われればそんなことはありません。
神社仏閣に行けば好んで拝みますし、お願い事もします。
おみくじだってひきます( 艸`*)ププッ
ただ、一途に信仰しているわけでないという形ですね。

スピリチュアルと生きる形というのは非なるものではないということが分かりました。

内田さんの講義からまずはじまるのですが、
人にはそもそも【根拠のない核心】というものが存在するというお話でした。

今の社会はエビデンス=根拠なきものを信じないということに走り過ぎているけれど
もともと人間は
皮膚や足、感覚というものにより危機感や自分にとっていずれプラスになるかもしれないという
絶対的な感覚を持ち得ているというのです。

エビデンスにこだわるが故に、本来持っていた
身体感覚が退化し、その能力に気づけなくなってきている。
それは戦後の教育でもたらせた思想であり、日本人全体が退化してきているのであるそう。

人はもともと
【どうしたらいいかわからない事でも、どうにかする力をもっている】
そう言われればそうですよね。
あらかじめ予測された事以外でも、何とか対処する方法を模索しますし、
全然分野と違うことであっても、ピピッと来て、学びに行くことがあるとしましょう。
数年後になって「あぁ、あれとこれが結びついてたんだ」なんてことがあったりします。
その事柄にエビデンスはないけれど、確信たる思いで知ろうとし行動するんですよね。

そうした直観的判断(センサー)がそれぞれ備わっていたはずだというお話でした。

今の日本は
貨幣や数値でしか判断できてない。
それはビビっと来ているわけでもなんでもないという話から
数学の森田さんの話へと大きくつながっていくのです。

森田さんによると
数学は数値などから世界(物事)を観る学問とされていることが多いが
本来、ピタゴラスの時代より、数値(数字)だけでは解明できないものを
自然と受け入れていたことによる実践と理論の両輪の学問であったというのです。

すごく意外でした(*゚Д゚*)ェ…

1という最も小さい数値というものは誰もが「1」と認識している
けれど、この「1」ということについて何故「1」が数値の最小なんだということについて
誰も解くことができない。けれど、「1」だからこそ生み出すこともでき、数により物について
解明できる。

内田さんの言っていたエビデンスがなくとも受け入れることができる事実があるということが
まさにそれにあたると話されていました。

そんな中で、森田さんも内田さんもご自分で「場所」を作られています。
いろんな人が集う場所でありながら、
その場所に集う人たちがどういう定義できているのかということを
自然と身体感覚で雰囲気を作っていくことや
新しいコミュニティを作るということについても話されていたのだが印象的でした。

書ききれないことや
少し解釈が違うかもしれませんが、
私にとって
私の【センサー】もまだまだ捨てたもんじゃない様子+.゚(*´∀`)b゚+.゚イイネェ
かなり”目からうろこ”の今の私に聞きたいお話でした。

つづきは3日目へ~
  •   31, 2012 23:46
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