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恍惚の人

  09, 2012 23:55
先日、大阪大学コミュニケーションセンターにて、
西川勝さんの認知症コミュニケーションの日でした♪

前回映画「恍惚の人」という映画を観ました。
恍惚の人

森繁久彌扮する茂造は妻が亡くなった時から徘徊が始まりいわゆる呆け老人となる。
同じ敷地内に住む息子家族が介護をするが、茂造は長男と長女の顔を忘れて泥棒呼ばわり。
長男の嫁の昭子の介護しか受け入れられなくなっていた。

様々なことに介助が必要になり昭子への負担が大きくなる。
ある日入浴の際、目をはなした瞬間に茂造は溺れてしまい、肺炎となり生死をさまよう。
目を覚ました時、「もしもし」と投げかける。
呆けが進むにつれ、茂造は少しずつ語彙が少なくなってきていた。

ある日、雨の中茂造は徘徊してしまう。
昭子は必至で探し回り、傘もささずたたずむ茂造に駆け寄る。
「お母さん」
「おじいちゃん!」
「もしもし・・・」
「もしもし・・・」

映画はそこで終わる
茂造の”もしもし”という言葉が深く印象に残る。

そのもしもしについてあなたならどうこたえるか?!ということについて
グループディスカッションを行う。

施設で働いていると、言葉を繰り返す人はいた。
”あほあほあほー”と叫びまわる人
”んだんだっ”と鏡に向かって話しかける人
言葉はないものの常にお尻を叩いて歩く人

私たちにとっては不可解な行動に意味はあるのか・・・そんなことを考える。
意味を見出す事は、その反応を見いだせる一つの手段として活用されるが、
時にその意味が見つけられず、結局”問題老人”なんて表されたりすることがある。

問題とは誰にとって問題なのか・・・。
介助者にとって問題であって、当人にとっては問題でない可能性も多い。

意味なんて実は自分のこじつけなんじゃないかとすら思う。
もちろん意味があった方が腑に落ちる。
でも、結局その人の行動による反応がみられることで勝手に判断している。

しかしながら、介護の現場で、こうした事柄に関心を向けない人が増えていると感じる。
現場だけでなく、社会的に、不可解な行動にたいしての理由を求め過ぎている時がある。
理由があるから行動するのか
行動したら理由がついてきたのか

茂造の”もしもし”は関心を示してほしいという投げかけかもしれない
単に言いやすい言葉なのかもしれない
当時のはやり歌にも”もしもし”で始まるものが多く、よく耳にしていた言葉かもしれない
様々な仮説の中、茂造の行動について考えている。

「ケアはその人の関心に関心を示すこと」

あぁ、そうなんだなぁ。
決して理由がどうのこうのでもなく
わからないけれど、今何を表しているのか
興味を持つことが、その人の存在を承認していることになるのかもしれない。

その人をみんなたやすく
「理解する」という言葉を使う。

理解なんてやすやすとできやしない。
わかっているフリをしているにすぎない。
でも関心を持つことならできる。
関心を持てればまたその人に対する視点も変わる。

うん、私はそこにこだわりつづけたいな
そう思う映画でした。
  •   09, 2012 23:55
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