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尊厳死ってなんじゃらほいっ?!

  13, 2012 18:06
尊厳死協会に入っておられる方からこんな話を伺いました。

「このカードどこで出すべきなんでしょう。
親戚がこのカードを出したところ、医師から『うーん難しいですね』と言われました。
いつどこで出すべきかを悩むのです」

私の中では、
尊厳死=積極的な治療(医療)を受けないことも含む
でした。

その方たちが入った理由は”高齢期に管をつけて生きながらえたくない”というもの。
この管というのは、胃ろうや経鼻栄養のことです。

でも、生きていて病院にかかっていると、
その選択だけではない、様々な選択肢がでてくるわけです。

抗がん剤治療というものも入ってくるのではないかと最近思います。
抗がん剤治療を全て否定するつもりはありません。
ただ、
医療には絶対はないということを自らが知りつつ治療を受けるという事と、
絶対はないのは仕方がないということについて従わざるを得ない状態で治療を受けるのでは
大きな違いがあるような気がするのです。

説明=受容
多くの医療の現場が淡々と治療を開始するわけです。
家族には考える余地もなく。

選択=自己責任
この言葉は巷にあふれかえっています。
判断する材料が少ないうえに与えられた中での選択の中で
”こっちのほうがマシ”という感情で決めたものが
自己責任という無責任な言葉で放りだされるのです。

さて、この尊厳死協会について
私はどちらかというと賛成派でした。
「でした」というのは変な書き方ですねw
正直わからないというのが今の気持ちです。

巷にあふれるQOL(クオリティーオブライフ:生活の質)という言葉ですが
どんな生活のクオリティーを問うているのでしょうか?
曖昧な言葉になんだか納得してしまう。
それは、日本人の気質なのかもしれません。
”頼りない”ととるか”柔軟”とらえるかは別として、
死生観が定まらない日本人にとって、決定できるほどの強い信念ではないから、
曖昧な言葉に救いを求めてしまう。

昔から死に対して話をすることはタブーとされ、
どちらかというと隠す。

私は
死に方を考えることは生き方を考えることだと思っています。
命を読むことなんて誰にもできない。
だからこそ、そこそこ死に考えようという世の中になりつつあります。
しかし、その言葉のあいまいさに惑わされないようにしてほしいと思います。

決して簡単に考えることなんてできないし
その答えをひるがえすことになってもいいような気がします。
それだけ複雑で、とても繊細だけど大切な話。

ちなみに私は
脳死になれば、使える臓器は全て提供することを望み
余分な医療は望まないと家族に伝えています。

死んでもいいではなくて
それよりも価値のある時間の使い方をしたいという考えなだけです。

そんな思い、実際に宣告受けたら
変わるんじゃないか?!

そうですね^^
私も弱い人間ですから変わるかもしれません。
今のところ変わらないですけどw
  •   13, 2012 18:06
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