きみきみのぼちぼちいこか~

ケアマネや骨盤からだ丸ごと調整、ご近所の寄り合い場「寄ってっ亭輪楽」開催中

Take a look at this

阪大 認知症コミュニケーションA 2回目

  11, 2012 00:53
さてさて、4月から1週おきに阪大に行っております。
阪大って飯台ではないですよっw
ヾ(´ε`;)ゝ…

社会人も学生さんに交じって勉強できるんですよ。
大学なんて足もほとんど踏み入れたことのないおいらが行くのです。
オノボリ気分満載ですw

この認知症コミュニケーション
西川勝さんのかなりなんでもありな感じの勉強会です。
今日のまとめ2

会場にはいろーんな人が来ています。
学生さんでも年齢もバラバラ、実はドクターコースで吹奏楽の研究やってるひととか
人類学ではサルの研究をしている人とか
建築の勉強をしている人とか
老年看護について勉強している看護師さんとか゚+.゚(*´∀`)b゚+.゚イイネェ

今日のテーマは
「ぼけ」や「痴呆」が「認知症」と呼称変更されて以降、現在の日本社会において
「認知症は、市民社会の中でどのように理解され、どのような位置にあるのかについて論議してください。
 上記の議論の結論から、「認知症」を再考する論点を検討してください。



さて、昔は「ぼけ」や「痴呆」と呼んでいたものが8年ほど前から
「認知症」と呼ばれるようになりました。そうした社会体系を30分ほど
もう一人の講師である、池田光輝さんから講義を受け、それを踏まえてのディスカッションです。


言葉が持つネガティブなイメージを払しょくするために「認知症」となったのですが、
本当にネガティブなイメージなのか?!ということがあります。
関西人では「ぼけてる」というのは対して抵抗のない言葉ですからねw
ディスカッションする中で尋ねられました

「私はその時高校生だったので”認知症”という言葉についてすんなり受け入れられます。
でもその以前を知っておられる方はどんな風な意味合いがあるのですか?」

ディスカッションを進めていく中で面白いなぁと感じること。
それは認知症の方に出会ったことが無い人であったり
家族が認知症でその時に戸惑った経験から参加したひとであったり
畑が違いそうなことに参加しているということをみるとそれだけ
認知症ということについて非常に関心が高いと言えるのです。

しかし皆口をそろえておっしゃります
地域の中で認知症の人に出会ったことが無い…と。

それはもしかすると
・関心を持って接していないこと
・認知症だということを隠して(改めて言わないということもあるかと)いる
・認知症であることがまだまだ弱者として認識されているということ
から認知症の人に出会っていないと思っているのかもしれませんね。

そんなことがうっすらわかっているからこそ、私はやみくもに
『知るべきだ』という思いを押しつけていたのではないかと思いました。
社会の認識と課題としてとらえている人間の感覚と大きな差…

認知症予防にはせっせといそしむけれど
認知症になったときにどう向き合えばいいかの情報はかなり少ない

(*´□`)<<ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛!!
なかなかこれはしっくりくるフレーズです。
(私が言うたんではないですっw)

認知症の人とのコミュニケーションを考えるあまり
社会の関心が低いということが課題だと言われていても、実は
認知症になったときの論議がされていないから、認知症という
病気に対してやみくもに不安になるということなんですね。

呼称変更に伴い、どちらかというと医療化されてきています。
もちろん医療が介入する必要性があるときもありますが、
人としての尊厳などの観点から”やむを得ない”という部分と
常に背中合わせに暮らし、医療化することでどこかで依存と安堵を
持ち合わせているのです。

認知症に好んでなりたい人は少ないでしょう。
認知症になっても認知症であることを隠さずに生活できたらいいなぁと思うのです。
地域の中で支えるということでのリスクももちろんありますし、
反社会的行動に対して、納得できるのかということの論議もあるのです。
正解はないですが、それでも認知症ということについて学ぶ必要性があり
認知症を考えるということは「老い」に向き合うことのように感じます。

向き合うって難しい。
100人いたら100通りの考え方があります。
だからこそ面白くて興味深い部分もあるし
やっかいだなぁと思う部分でもあるというわけです。

地域ではまだまだしられていない認知症。
関心を持ってもらう工夫を、職種も年齢も学科も背景も違う人たちが
集まって話す重要性に改めて感じました。


小さな細部に気づく
気づくとは「なぜ」の連続
なぜ?!と思ってヒントがうまれて
実践して、またなぜ?!って思う
またヒントが生まれる
そしてそのヒントを試したくなるからこそ
大きな学びになる。

老いは誰しも訪れるもの
でも、割り切れない感情と
もし、老いた時に老いてもいいんだと思えられるような環境になっていれば
認知症の理解を深めるような行動はなくなるかもしれない…。

あー今日もたのしかった♪
今日のまとめ
  •   11, 2012 00:53
  •  0

COMMENT 0

Post a comment