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忘れられない思ひ出(3)

  21, 2012 17:34
忘れられない思ひ出(2)の続きです♪


電気は即日復旧しましたが、ガスと水は少々苦労しました。

大半父ちゃんが…(´ー`A;) アセアセ
手伝いを申し出ても、”お前はできない”という思い込みから邪魔扱いされ
家でも大した役割を担えずにいました。

学校の校庭は割れ使用できないことに加え、
うちの高校は市立でしたので、長田方面の生徒が多かったので
休校になっています。
幸いにも同級生には死者はおりませんでしたが、
避難所暮らしを余儀なくされる人も多くありました。

少し落ち着いてくると、何か地元のためにできないかと、
できることなら避難所のボランティアに行きたいと申し出ました。
父ちゃんの知り合いの人が当たってくれ、
長田の南部の方の小学校で避難所暮らしをしている
全盲のおじいさんの話し相手になるというボランティアを見つけてくれました。

電車の通っているところまで電車で行き、
そこからは自転車を置いていましたので、自転車で小学校まで通いました。
自転車の置き場所は私の生まれた家です。

誰も住んでいないその生家は、壁が崩れ家の中が丸見えになっていました。
赤い紙には「全壊」文字が記されていました。

不思議ですね。
何年も住んでいない家なのに、
小さなころの思い出しかないのに、
家が潰れているというのをみるとなぜか涙があふれます。

悲しいとか
辛いとかそんな感情ではなく
ただただ、涙が自然と流れるのです。

私ですらこんなふうに泣くのですから、
住む家を無くした方の気持ちは相当であろうと思いました。
自転車に乗り、長田の中心街を通ります。

崩れた家いえを眺めながら
惨憺たる光景を目の当たりにして何も言葉は出ません。
たまたま同級生に出会いました。

「大丈夫?!」
「生きてた!大丈夫^^また学校でね」

すれ違いの会話だったけれど、
辛いことだらけなのに、笑ってくれた彼女に驚きました。
今でも忘れられない。

普段の生活で”生きてる”かどうか尋ねるなんていう返答なんてありません。
でも、それが全てなのです。

ボランティアに行った小学校では多くの人が避難されていました。
自衛隊のお風呂も設置されました。
あの震災で、多くの人が自衛隊の人に感謝しました。
不眠不休で活動し、それでも誰かのために活動するなんてことは到底できません。

炊き出しもあちこちで開催され、
残った商店はできるだけ店を開け、被災者に暖かいものを提供します。
一瞬だけ雰囲気に触れると”動”という風に見てとれます。

しかし、震災は多くの”静”や”暗”といった、様々な問題を表面化させるのです。

馴れない共同生活であり、
また人知れず、辛い作業をしている人もいる。
精神的な問題から、
社会保障という問題
障害を持つ人と高齢者の問題
母子や人権にかかわる問題

普段の生活をしていると気づかなかった物事に良くも悪くも出会うのです。
ともすれば「希望」や「明るさ」だけをクローズアップされがちであるが、
実は被災者にとっては非常にその明るさが重荷になるということもあるんだということを知りました。

17年たった今でも問題は個々にあるのでしょう。
深い深い心の傷は
きっとなかなか癒えることはありません。
だからこそ、3・11の東日本大震災には多くの人が思いをはせたのでしょう。
そして行動する人も多かったのです。



おじいさんのボランティアに入って、
おじいさんに尋ねました。何がしたいかと…。

「喫茶店にいってコーヒーが飲みたい」

一つ一つ尋ねながら、私の腕を持ってもらい歩きます。
もちろん介護の知識なんてこれっぽッちも持ち合わせていません。
おじいさんに教えてもらいます。

おじいさんは一人でアパート暮らし。
アパートは全壊。
埋まっているところを救助されたということでした。
それまで近所の人との交流はないけれど、
避難所で全盲であるからと保健の先生の目の届くところで生活されていました。

「一つ一つ頼まなければいけないのがしんどいね。
でも助けてもらったんだから、何も言えないんだけどね」

小さな喫茶店に行くと、珈琲を頼み、時々昼食も食べておられました。
いつもそのおじいさんはおいらに珈琲をごちそうしてくれるのです。
どうしても我慢できなくていいました。

「私は、ボランティアに来たくて来てるんです。私はごちそうしてもらうためにきてないので」
「でもね、気持ちがうれしいんだよ。私のためにわざわざ来てもらってるのに、おごらせてほしいんだ」

割とそのあたりは生真面目な性格のおいらです。
ボランティアに来ていて、自分の家はぬくぬくあって帰れるのです。
だからこそごちそうしてもらうなんて、もってのほか…断り続けました。

「だったら来ないですよ!そんな風に言うなら」
「それは悲しいなぁ。今回はじゃぁ…でもせっかく来てくれるならごちそうさせておくれ」
その時はとっても悲しい表情をされました。

今考えれば、脅しのようなひどい断り方ですw
ボランティアに行くことが、結局おじいさんのお金を減らしていることに
とっても悩みました。

「お嬢さんが来てくれるから私は珈琲を飲みにいけるんだよ。」

そう言われると、何も言えません。
喫茶店に行くことは、被災地では罪悪感でもあり
でも、何もせず体育館にいるということはストレスで
役割のない人間だと感じると話をしていたおじいさん。

私はただ
”なんの役割もない人間”とつぶやかれるたびに答え方もわからず
「そんなことないです」
としか言えない自分の無力さを痛感するのです。

ある日いつものように行くと、周辺にいた人が声をかけてくれました。

「おじいさんのところに来てた子だよね。おじいさん、老人ホームに行ったよ」

全盲の方が入所する老人ホームに入れたとのこと…。
その後、他のボランティアも電話をしてみましたが、
”経験者じゃないと邪魔!”と言われ、結局震災のボランティアはその1回だけでした。

私はあれから少しは断り方が上手になっただろうか?
いいえ…17年たった今でも不器用に断ります。
でも、少しは気持ちがわかるので場合によっては
少し甘くしているかもしれません。

お金を払わずして依頼するということは皆気が引けるのです。
逆に考えれば、”善”の押し付けかもしれません。
もちろん倫理観の問題もあるので、大手をふって
奢ってもらいましょう!とは言いませんが
(-∀-`; )
それでも、その人の気持ちというのはきちんと理解してあげるべきだし、
私自身も人にお願いするときはそうしてしまうだろうなぁという気持ちも今ならわかります。
そんな思ひ出
  •   21, 2012 17:34
  •  2

COMMENT 2

Sat
2012.01.21
19:13

きみきみ  

ウエッティさん

コメントありがとうございます。
そうですねぇ。
本当にそう思います。
一つの出会いで気づかされたことってたくさんありますね。

2012/01/21 (Sat) 19:13 | REPLY |   
Sat
2012.01.21
18:42

ランディ・ウエッティ  

一つひとつの経験で今があるのだよなぁ。

2012/01/21 (Sat) 18:42 | REPLY |   

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