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お布団

  19, 2012 00:33
今日は不思議な不思議なお話です。
どうとらえるかは…あなた次第。


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「お布団がね・・・・」
つい、語り始めてしまった…。
何故だかわからないけれど、ぽつりとつぶやいた一言から
次々と言葉がおかしなほど出た。


年を重ねるとうんざりするほど鉛のように身体は重くなる
”生きている”理由を探すけれど、こんなに動かなくなる身体にどれほどの
意味があるのかと、神をも恨みたくなる…。

久しぶりにあった娘はこういう
「お母さん、姿勢をよくしてね。ほらっ、努力しないからよ」
腰が曲がって、身体をまっすぐにした方がいいことはわかっている。
でもね、どんどん曲がっていく。
でも娘たちは私の努力が足りないっていうの。

私だって…・褒めてほしい…・


80年以上の歳月で
人の心も、頭も、身体も、すっかり年を重ねてしまっている。

仕事もして、
子育てもして
問題も抱えながら
生真面目に本当にまっすぐ生きている自慢の娘

でも、娘に叱られる年になるということは
何とも情けなくも感じる。
その反面、「なにくそっ!」なんて思う。

夜の闇は想いを巡らせ
自分を責め続ける

ふと、息子を亡くした時の事を思い出す。
息子は病に倒れた。
最愛の私の息子。

もう亡くなることは目に見えていた。
少しでも綺麗な衣類で、
少しでもふかふかのお布団で最期を迎えさせてやりたかった。

でも、孫達はちがった。
よれよれの父親の匂いのついたせんべい布団に寝かせようとした。
私も息子をそんな薄っぺらいお布団に寝かせられなくて、
新品のふかふかのお布団に寝かせた。

でも、孫たちは・・・・
私が世間体を気にしているといい、
絶縁した。

あの時時間が戻るのなら
孫たちの意見を尊重してやればよかったのかもしれない。
今重くのしかかる。


「私が悪いのよ。彼女たちの気持ちを尊重しなかった。押し付けてきたのよね」

「あの時あんな言葉を言わなければよかったという後悔ばかり」

口をついて出てくるのは、
そんなことないよという言葉を待っていて、
それでいて、単純な言葉ではどこか満足しない自分がいることを私は知っている。


ふと目の前の彼女はこうつぶやいた
「でも、みんなその息子さんの事を考えていたというまぎれもない事実はありますね」

思わず目を見開いた。そう・・・であった。
私は母として息子を想い、
嫁は妻として夫を想い、
孫は子どもとして父を思う。

「正解はないんじゃないですか?
あなたにはあなたの思いとともに立場や経験があった。
その上での準備であった。
でも、孫さんにしては初めての出来事。
いつの日か、同じ立場になったり、年を重ねたり、社会に出たら気づくこともある。
だって、それぞれの想いに根拠があるでしょう。ならばそれは裏付けされた思い。
大切にその人を思っているからこその表れではありませんか?」

孫は…いつか私を理解してくれるのだろうか?
そんな風に考えたことはなかった。

「いつかいいましたよね。
年老いた自分の親が、つぶやいていたことを思い出すって。
きっと、その時にならなければ気づかないかもしれない。
それはあなたが亡くなる時にわかることかもしれない。
もっと早く気づくかもしれない。でも変わる片鱗は残している。」

自分も今となれば親の気持ちが少しはわかる。
決して同じにはなれなくても、叱る娘も、私の行動を非難した孫たちも
いつかわかる時がくると信じたい。

現代の物が豊かにある時代にわかるのだろうか?
できるだけ物は捨て、私自身も迷惑かけたくないと思っている。
だって、両親の物を捨てる時に非常に苦労したから。
だからこそ、業者に捨ててもらえばいいと思うし、今の子どもたちが
自分の遺品を大切にするなんて思えないとつぶやくと、再び彼女がこうつぶやく。

「物品を始末するときとっても苦労されましたよね。
でも、お辛くなかったですか?処分する時って、物を捨てることがどうではなく
その物に対する想いでやエピソードが付きまとうからです。
想いが詰まっていないものを捨てることはためらいません。
しかし、その物を介しておこった出来事を思い出すから処分は辛い。
でもそれがあるから、人は形を残さない”死”を受け入れるのかもしれませんよ」

そうかもしれない。
勝手に私があれこれ考えていたことは、
決して事実ではないかもしれないということに気づき、驚く

「私、がんばってるよね」
「えぇ、がんばりすぎです。
人は誰しも迷惑をかけたくないと思っています。でも迷惑かかるんです。
だから迷惑かけるときは精一杯ごめんなさい。ありがとうって思いましょう。
そして誰かに迷惑をかけられたら、よっしゃ引き受けましょうって思ってみたらいいですよ」

40歳以上も年下の彼女にそう諭される。
何故若い彼女はそんな風にかんがえられるのだろうか!?
尋ねてみると、彼女は自分の話を少しした。

…もうひとつ尋ねてみた
「最近お箸がうまく使えなくてね…。ぽろぽろこぼしちゃうの」
「フォークで食べたらどうですか?!」
「えっ?…・フォーク!」
「えぇ、どうしても箸がいいなら考えます。でも面倒なら、フォークで突き刺して
おいしく食べたらいいじゃないですか。お箸の方がおいしいっていうならその方法を
共に考えましょう。」

いろんなことを考えていたことが
妙にスキッと晴れ渡る感じがした。
こうしなきゃいけないと自分で自分を封じ込めていたことが
もしかしたら後ろ向きな考え方にしていたのかもしれない。

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三角はどうみても三角だけれど、三角じゃない可能性もある。

決してそれは明るくふるまうのではなく、無理なく生きるという難しさ

しかし自分を表現すること

人に伝えるという事の大切さを

人が観ているものの危うさや

情報は誰もが共通認識しているものでは決してない

その情報を互いに出し合い埋めていくことが

相互理解であり

自己覚知なのかもしれません

生きている意味を探すより

生きているという事実

そして、最期の最期まで親であり

その人であり、まぎれもない、ただ一人の、たった一人しか

この世にはいない存在なんです。

それが生きる理由なんです。

かけがえのないあなたの人生

かけがえのない私の人生

だから年を重ねてもきちんと理由があるのですよと私は伝えたいな。
  •   19, 2012 00:33
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