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ケアとまち~釜が崎のまちにまなぶ~

  25, 2011 22:52
昨日は大阪の阿倍野のカフェで

話し手はNPO法人こえとことばとこころの部屋:ココルーム
代表で詩人の 上田 假奈代(うえだ かなよ)さん
聞き手は 大阪大学コミュニケーションデザイン・センター特任教授
ためらいの看護師 西川 勝さん

釜が崎という町は
大阪で有名な 【あいりん地区】 と呼ばれる日雇い労働者のまちです。

おいらもテレビでしか観たことがないですが、
実際近くで働いていた友人は
朝と夜の顔の違う店で
女性だけでは歩けない町だと聞いていました。

また別の友達は飛田新地にある遊郭を改装した居酒屋に
一度おいらたちを連れていきたいと話していたのを思い出していたのですが、
上田さんの話を聞いてびっくりしたのは
カメラを向けることができない町だということ。

毎日何百人という人が路上で休み
何百人という人がシェルターで過ごす
炊き出しと
見周りがあり
5時すぎには車がやってきて仕事へ行く人たちを選別していく

最近は福祉を利用する人も多く
生活保護を申請されるかたも多いようです。

生活保護費日本一が大阪市ですからね。
この地区が含まれているという象徴でもあり、
いわゆる貧困ビジネスというものが横行する町でもあります。

上田さんは
生活保護を申請されることにより
今まであった顔の見える関係から
疎遠になってしまったと話します

いろんな背景を持っている彼らたちと向き合う時
単なる支援するひと、支援されるひと
というふうに簡単に分けられてしまうと
彼らと疎遠になってしまう

少しの近所のおせっかいと
心地よい距離感が大切であり
いつでもそこにある場所
そんな場所が上田さんがやっている
ココルームというカフェなのかもしれません。

アートを通しながら
生きていることを表現している彼らとともに
ココルームは確かに存在し、
互いの意味を尊重しながら
互いに生きている

まちに溶け込む
まちと歩く

そんな言葉似合うようなお話でした。

ともすれば
なんでも壁を作ってしまう私たちの世界は
気がつけば奢り高ぶり
思いとはかけ離れていってしまう

そんな危うさの中で生きていることに
気づかない自分たちの
脆さのようなものを改めて考えました

とても魅力的な彼女に
そしてそこで働く人たちは日々向き合い
そこに通う人たちもまた

まちに生かされ
まちをいかしている

そんな共助の関係があるまちに
少し行ってみたい気がしました。

怖いかもしれません
行っても何も感じないかもしれません

ただ、
もう少し自分が何者か、
しっかり思えた時に行ってみたい

なぜそう思うのかは分からない
目の前を叩かれるような衝撃を受けたいのかもしれない
どういう感情を自分がもつかということが知りたいと感じた


この学習会の前に映画を観に行ったまちは
神戸でもアンダーグラウンドです。


昔は地下道路はとても女性が歩けるような町ではありませんでした。
それは昼夜を問わず
しかし以前よりホームレスの人たちは少なくなりました。

しかし神戸の中でもそれは今も
必ず夜になると市役所の横の地下は
ホームレスの人たちが集まってくることをたまたま知りました。

彼らたちは
ひとにまぎれ
どこかで過ごしているのです。

そしてホームレスが存在しないかのような
偽善のまちとしてそこに忘れてしまいがちであるけれど、
決してどの都市にも存在するのである。

怖いという思いもありますが、
はたしてそれだけではひとくくりにできない思いもあるのです

最近はホームレスを襲撃する事件も増えている
いろんな背景を知らず
排除に乗り出す若者は
ただの弱い物いじめであったりする

そのことに気づかず ”掃除をしてやってるのだ”と正当性を訴える

自然と排除されている関係でありながら
一方で人権を尊重すべきであり
しかしながら
彼らは弱者でない時もある
もちろん大いに弱者でもあるのだが・・・。

現実にまちに起こる問題を
実は知らないでいることが多い
全てを知ることはできないけれど
知れる限り知った方がいいような気がした。

まちで
おいらたちも生きている
みんな生きている
それぞれの目で世界を眺めているのだろう

その目が
互いに優しく
支えあえるような目であればいいな・・・。
  •   25, 2011 22:52
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