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生きずらさ

  12, 2011 23:03
午前中は訪問がなくプランを立てながら事務所で留守番をしていました。
介護保険の新規申請にこられたおじいさん。

地域包括の職員が他を応対中だったためおいらが応対しました。
どういった経緯で新規申請に来られたかと尋ねる。

「○○病院に昨日受診に行ったんや」
その○○病院は認知症専門病院の名前を挙げたので少しびっくりしました。
介護保険証の名前はどうみても男性・・・ということは目の前にいる人なのです。

「そこで、CTをとったら
 1年後にボケるって言われてね。
 そこのデイケアにも通うんだけど、
 先生が、介護が必要になった時時間がかかるから申請しとけっていうから、
 さっき区役所にいってきたんだ」


(゚Д゚;)えっと・・・

介護保険のサービスは今は使わないという。
確かに申請後1か月ぐらいは時間を要します。

「その病院を受診したのは、失礼ですがどなたかの薦めですか?」
「いや・・・物忘れがあるんですわ。」
「物を置いた場所を忘れるとかですか?」
「そうなんや、さっき置いたのに忘れる。
 台所に行ってはなにしに行ったか忘れる。
 風呂を入れようと蛇口をひねって、そのまま忘れて、
 出かけてしもて、出しっぱなしやった・・・」


ふと見ると胸ポケットにタバコが見える
「たばこの消し忘れとか、不用心でボヤなどはありませんか?」
「それはないけど、怖いからなぁ・・・だから気をつけてはおる」 
淡々と語るこの方に何と声をかけていいかわからず、不思議な感じでした。

「それにね、徘徊があるんやて」
「えっ(゚Д゚;)・・・家の外にでられて帰れなくなるんですか?」
「いや・・・部屋ん中で。夜中うろうろしてるらしくて、娘に怒られた。
 外で出ていったりしたら・・・終わりやなぁ・・・。
 わしは全然記憶がないんや。朝気が付いたら、食べもんの皮が落ちてたから、
 『あぁ、わしが食べたんやなぁ』って思うんや」


「不安でしょうに・・・」
「そうなんや。なんていうか・・・・病院で、
 通いで週1回来いって言われたけど、
 園芸や絵なんて書いたことない。ついこの前まで仕事してたしな、そういうの
 苦手なんやけど、みんなで散歩したりするっていうから、先生が勧めるから
 行くことにしたんや」


自分で自分の行動がわからなくなることへの不安
娘や家族に迷惑かけたくなくて、
病院を受診して、一人で介護保険の申請に来たという。

自分で自分の行動を
”徘徊”だということに違和感を覚えた。

1年後には呆けると言われた・・・
もちろん医師はオブラートに包んで話をしたかもしれない。
でも、その方はストレートに他人に話す。

その気持ちを考えると、なんとも複雑な心境になった。
認知症になることを、
”しょうがない”と許せない社会では、こうした不安も募る一方。

その方がお帰りの際、地域の喫茶のチラシを渡す。
「へー喫茶があるんか」
「はい。月に1回ですけど、いろんな年代の人がきます。ここの職員もきます。
 病気の話されたり、日常のこと話したり、心の不安でも話してもらっていいですからね」

「ありがとう^^」

自分のことを客観的に話すこの方に
おいらたちは、社会の一員として何ができるんだろうか・・・。

誰も認知症になりたくてなるわけじゃない。
どんなに努力していたとしても、認知症になるときはなる。
それは肩が痛い、膝が痛い、身体がだるい・・・
年が取ればそうなるよね・・・・
そんな風にはならない、認知症という病気。

認知症は治ると言う先生もいるぐらいだが、
はたしてそれは正しいと言えるのだろうか?!
薬を飲み、行動療法を行い、何もしないよりはましだろうが、
枠の中になんでもはめ込んでしまうことに少し違和感を覚える。


認知症になることが防ぐことができないなら
個性として引き受けることはできないのだろうか?
なんでも病にしてしまうこの社会では
”年のせい”という病はないのだろうか。

あまりに病が増えた社会では
誰もが生きにくい世の中に感じてならない。

誰もが生きやすい世の中になるには・・・まだまだ先のような気がする。。。
  •   12, 2011 23:03
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