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第17回 ケア塾たまてばこ

  12, 2011 08:09
土曜日は 第17回ケア塾たまてばこ 
 ケア塾たまてばこ は 毎月1回、西川 勝さんの解説による
 哲学書を読み解く会です♪
 現在は、鷲田 清一さんの「わかりにくいはわかりやすい」を1章ごとに
 読んでいます♪
※※たまてばこ学習会日時:10月1日(土)18:00~20:00
 場所:阿倍野区民センター・集会室3
 講師:西川勝(大阪大学コミュニケーションデザイン・センター特任教授)
 テーマ:臨床哲学「わかりやすいはわかりにくい?(鷲田清一著、ちくま新書)を読む
 参加費:1000円※前回参加された方は、半額です


本日は【第11章 憧れつつ憎む?-家族について】

家族というのはなかなか難しいですね。
ずっと昔、三世代同居が当たり前だったころと比べて
どんどん縮小されている家族。

家族って一体なんでしょう・・・。
鷲田さんは本の中でこんな一文を残している。

・「家族は、人間関係の対立する二つの契機が若い不可能なかたちで交差し、
共存している、矛盾に満ちた場所としてある」


家族の中において、信頼と安心の基礎、それを気づかされるのは、・「自分がどういう存在であろうと自分がここにいるということだけで
大事にされた、無条件に肯定されたという経験があってのこと」


無条件の肯定=倫理の基礎といえると西川氏は解説する。

無条件の肯定があり、初めて「しつけ」などの前提となる他社への信頼感を根付かせ、
「存在の世話」とでもいうべき経験が、自尊心の基礎となるものを育む。

・「自尊心とは、プライド(自負心)のことではなく、自分を粗末にしない心、
かけがえのない自己というものの経験。これがあってはじめて、人は他者への
思いへのこまやかな想像力を抱きうるようになる」



家族関係において、「無条件の肯定」ということがそもそも実感したことがある人は
どれほどいるでしょうか・・・。

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うちの母ちゃんはニュースを見てはあれこれ感想を言う人でした。
あけすけなくいう母ちゃんに、思春期の時は本当に嫌でした。
プライバシーというものはなく、どちらかというと「掌握」されている感が
強かったことがつらかった時期もありました。

ある時、息子が親を殺すというニュースを見ていたときのことです。
いつものように母ちゃんが感想を述べます。「こんなんな、嫌やったら逃げだせばいいねん。殺すほどのことなんてない」

まぁ・・・そうなんだけど、おいらのように”掌握”する人間は
どのようにして飛び出せばいいかもわからず、そんな勇気もない。
逆に反抗しても抑えつけられるだけでたまるストレスというのは
共感できる部分でもありました。

「あのな・・・言うとくけどな、
 あんたとあたしは親子や。親子やから、あんたが間違いを起こしたらぼろくそにいう。
 そりゃなじるやろうし、ひどいことも言う。殴るかもしれん。
 
 でもな・・・
 どんな犯罪を起こしても、それは親の責任や。あんたを許しはしない。
 だけど、親であり子であることにはかわらへん。
 罪を起こしてようが、他人がどういおうが、いつかほどぼりがさめたら
 最後の最後で許せるのは親や。」


と言われた時、少し驚いたことを思い出した。

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「かけがえのない自己というものの経験」や「認められた」ということが
子供にとっては一番自己を表出することができる環境であるともいえる。

誰かに認められたり
応援されているということを実感すると
突き進む勇気もわく時があるように、大きくその後の生き方をも左右する。

家族は決して、血縁だけではない。
昔と家族の形態が変化しているだけに、こうした出来事から
その後の考え方を変えるということがあるのではないかと
聴きながら感じた。
家族として支えきれないものを、教育の中で「かけがえのないひとり」として、受容され、認められることも必要である。

教育の現場だけでなく、社会全体の弱い人間を支えるという構図が、今の競争だけの社会に待ったをかけ、高齢者問題についても考えられるようになるのではないかと感じた。
  •   12, 2011 08:09
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