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こころメガネ

  11, 2011 12:05
「老いと認知症ー悲しみの意味」というブログにコメントをいただいていた、
さくさくっとさんの思いだしたことを書いてみようかと思います。


老健で勤めていた時、
認知症の方は鍵のかかった閉鎖棟にいました。
8年間の間で職員はあっちこっち配置変えもありましたから
どのくらい認知棟のある階で働いていたかは思いだせません。

閉鎖されている棟は29床(4人部屋、個室、2人部屋)ありました。
行事の時や
続きのフロアにあるお風呂のある時、
職員の目が届く際などは扉を開放し風を通したりしていました。

とはいえ・・・
同じフロアの中でも、常に閉鎖されているフロアに行くことを怖がる人もいました。
おかしいですよね。
同じ建物の中、同じ階に入居されているお年寄りですら、
”閉鎖棟”の入居している人は同じ”人間”として扱っていないような言動になるのです。

まさしく奇異な物を観る目になるのです。

職員はどちらかというと
そうした差別的視点のお年寄りを嫌ったりする・・・。
変な矛盾。

職員は認知症のないお年寄りに対して
「あの人は認知症を差別する」と養護的発言をしたり、
「同じお年寄りなのに、なぜ理解してあげないんだ」という否定的発言を多くの人がする。

認知症の人たちは守られるべき弱者なのだろうか?!
社会の中である程度の支援は必要であったとしても
絶対的に守られるべき弱者・・・ではないように感じていました。
(ニュアンスが伝わるかどうか疑問ではありますが・・・^^;)

結局は職員の中に、”わけがわからない人”を守るような発言をすることで、
人種差別を助長させていることに気づいてない
【過保護な擁護】ではないかと思っていました。

おいらにとっては、
認知症の人を嫌うお年寄りと認知症の深いお年寄り
どちらの言い分もわかるし、
差別させているのは、あの大きな扉であり職員なのだとずっと思っていましたので、
こうした非難自体、職員が受けるべきものとして応対してきました。

時にひどく差別する人に対してお話したこともあります。
そうした訴えられる人とお話すると

”手がかかる(認知症)人たちに職員が手を焼くから、
お願いしたいときにいつも職員がいない。自分でやってと言われる。
自分でできないからお願いしたいのに”

そんな声が聞こえてくるような気がして、
一人の職員では扉を取っ払うことはできないけれど、
認知症ではないフロアの人たちの意見も組み入れるように何か催しものを企画したり、
交流できるような時間を設けたり、
職員の目があるときは扉をあけたりしていました。

どちらもおいらにとっては大事な利用者さんで
手間も内容も全く変わりません。

そりゃ・・・
おいらたちの世の中、時間の流れからすると
認知症の人たちの行動は【奇異】かもしれません。


同僚と話をしたことがあります。

「認知症の人たちからみた、世界はどんな世界なんだろうか・・・」

ドラえもんのアイテムでメガネをかければその人の心のうちが
わかるという物がありました。
あれで一度みてみたいねっ。

認知症の人の胸の内を知りたい
そしたらもっと、不快を取り除いた生活が送れるのじゃないかって・・・。

でも、思うのです・・・
それって、つまらないなぁって・・・。

誰のこころもお見通しになれば、すっきりしていいかもしれない。
こころの差異に対して、
よく思われていなければ離れることができるし、
煩わしい思いなどしなくていいんじゃないかと。

でも、
この煩わしいことがあるから、
人はこころを表出することを心がけるし、
差異があるなら埋めようとする。
本気でぶつかった結果、密になることがあれば、離れることだってある

全て思っていることが理解できたら、ハナからぶつかることなんてしないんじゃないかと・・・。


認知症の人の観ている世界を観てみたいと思う。
感じている心を体感してみたいと思う。
でも感じたということは、そうなっていない自分の心を持ち続けなければならないし、
本質からぼけることを望んでいないということになるんじゃないかなぁと感じる。
だって、本当の気持ちを体感するころには”完全なボケ”にならなきゃ違いすら
わからないから比較にならない


おいらたちにできることは
つらい…かもしれない
かなしい…かもしれない
でも意外と楽しい…かもしれない

すべて”かも”という話を考えること。
だからこそ一瞬一瞬の喜びや、感情の変化というのに対して
大切な時間として扱う必要がある。

ずっと変化を求めていることは日常ではない。
ただ、その変化の時間を貴重な時間として
一緒に歩もうとすること
その人の気持ちの変化を持ちつつ沿うこと

このことが
一番大切なことのように思う

だから
おいらの中では
結論として
「こころが見えるメガネ」はいらない派なのである。
  •   11, 2011 12:05
  •  2

COMMENT 2

Mon
2011.09.12
07:03

きみきみ  

ジェームズLウエッティさん

そりゃ思いますよw
でも、与えられるばかりでは疲れませんか?
その方たちが、その瞬間誰かに何かを与えていることもある。

誰かの世話になるという思いは
非常につらく、しんどいように思うのです。

だから緩急があるように
静動その瞬間瞬間を大切にするということしか
我々にはできませんし、意外と求めていることのように思います♪

2011/09/12 (Mon) 07:03 | REPLY |   
Mon
2011.09.12
00:54

ジェームズLウエッティ  

老いや病いを通して

頑張って生きて来て、その最終章で
老いや病いをしょい込む。

私たちはこの方々へどんなギフトを
さしあげられるのでしょう?

そう思ったりもするのです。

2011/09/12 (Mon) 00:54 | REPLY |   

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