きみきみのぼちぼちいこか~

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わたしのわたし

  07, 2011 22:18
本2
実はこの本、以前紹介しましたが、まだ読めていないのです。

読み進めているのですが、
なかなか難しい(´ー`A;) アセアセ

特に鷲田清一さんの文章は、わかりやすいのにわかりにくいっw
これ本当です。
月1回 西川勝さんの「ケア塾たまてばこ」に参加するようになって、
鷲田さんを知って、それから本を読むようになりました。

ただ、めちゃくちゃ薄いこの本ですら、頭の中が軽くパニックになります。
嫌なパニックではありません。
心地よいパニック

…って、(´・ω・`)どないやねんっw

物事を黒か白かで決着をつけたいと思う反面
その黒か白であるということを決めることに
一体どれほど考えただろうか・・・

と問う

どちらか一つであるという決断をするということが
はたして正解か不正解かという判断にはならないということ

もちろんおいらの解釈なのではたしてあってるかどうかは不明ですが
そんな議論がずーっと書いてあるわけです。

ただ、
成り行き任せとは違い
ある程度の成熟した考えのもと
あるがままに人を受け入れるということは
難しくもあり
しかしながら、あるがまま受け入れていない社会というものに
投げかけることのよって、今の未熟な社会を考え直そうと問うているのです。

.:♪*:・'゚♭.:*・♪'゚。.*#:・'゚.:*♪:・'.:♪*:・'゚♭.:*・♪'゚。.*#:・'゚.:*♪

西宮に 海清寺 という禅寺がある。
前の職場に近かったこともあり、
しょっちゅう出かけていたお寺。

毎朝時間になったら門があけられ
お坊さんの手によって、きれいに敷石に輪が描かれる
そして、17時になれば鐘がなり門が閉められる

この門に書いてある言葉
「わたしのなかに もうひとり すてきなわたしがおるね」
合わさって初めてこの文章になる

心の中には
いろんな「わたし」がいて
悪いこと考える「わたし」や
善人でありたいという「わたし」や
純粋に人を心配する「わたし」や
どこか合理的に物事を進めようとする「わたし」がいる

いろんな「わたし」がいる。
一瞬どこか多重人格者なのかと疑うが
人は皆、こうした「わたし」を持ち合わせているのに、
どこかで排除しようとする。

でも、「わたし」の中に存在する「わたし」がいるからこそ
迷いながらも人は相対する人に
”なんとなくわかる”と思える

決して細部まではわからないけれど
わかる 気 がする

悩みを打ち明けて「わかった」と言われると
「私のなにがわかるのさ!」と腹が立つ時もあるけれど、
わかってほしいから伝えるのであり、
結局はあるがままの「わたし」を受け入れてほしいという
欲求をしているとういう、自己覚知なのかもしれない。


うーん
わかりにくっヾ(´ε`;)ゝ…

どうどうめぐりの「わたし」論争

しかしこうして考えることで
いろんな一面を知れること
そして人に伝えることで
一人で抱えているよりずっと楽になる

人は誰もみなこうした自己覚知の場面を求めていたりする。
正解を求めるというより、一方方向だけの
付き合いというのはそれだけ、閉鎖的で自分のアイデンティティすらも
侵していくという危うさをもっているからこそ、
「わたし」の本能として、他者との会話を求めている。

だから
つどい場って必要なんだろうな。
でも、ただ「つどう」だけでは一方通行になってしまうし
自分のあるがままに受け入れられるという安定した場所にはならない。

受け入れられるのが心地よい時もあれば
大勢の共感を得たい時もある
「それは違うよ」と否定されても
何かしらの考える種にはなる

「わたし」という存在を打ち消さないという前提のもとにある
決して答えを決めつけずに受け入れられるから、
おいらはさくらちゃんに行きたくなるのかもしれない。

最近研修やらしごとやらで
さくらちゃんに行ってない。゚+(。ノдヽ。)゚+。
いろいろ話したいなぁ~
  •   07, 2011 22:18
  •  2

COMMENT 2

Fri
2011.09.09
00:22

きみきみ  

ジェームズLウエッティさん

そうですねぇw
いろんなわたしがおりまするぅ♪

2011/09/09 (Fri) 00:22 | REPLY |   
Thu
2011.09.08
00:25

ジェームズLウエッティ  

私の中には

もうひとり酒的なわたしがいる。

痴的なわたしもいる。

みんなわたし。

2011/09/08 (Thu) 00:25 | REPLY |   

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