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看取りケアの作法 村瀬孝生著

  05, 2011 05:46
よりあい
看取りケアの作法 村瀬孝生 著  雲母書房 

友人に勧められてこの本を貸してもらった。
いろんなことを思い出す。
最期までお付き合いすることはなかったけれど
生活とは何かと考えさせられる。


先日
ターミナルの利用者さんが介護職員の中で取り合いになるという
話を聴いた。

おいらもその気持ちがわかる。
少しでも触れていたいと思うし、
かかわっていたいと思う。

そして最期を一緒に看取った時の感慨深さというのはいかようなものか
ふと想像してみる

でも
著者の村瀬氏はこう記している。

「家族は介護をしたがっている。
 それを奪っているのは専門職ではないか。
 家族が介護し続ける為に専門性を発揮することが大切な時代がくるのだと思えた」

恐る恐る触れる
専門職の手に渡った瞬間から
家族の知らない祖であり、親であり、孫となる
触れてはならないような感覚にとらわれるという。

だからこそ、家族や知人、地域、ボランティア・・・
こうした社会的かかわりをもちつつ、かかわっていくこと

「介護は地縁に結ばれた共同体において、介護労働を再分配し
 生・老・病・死を家庭や地域社会に取り戻すことである」と

自然の摂理に沿うこと
その必然を邪魔せず見届けるということ・・・・。


自然の摂理とはなんだろう
生きること
老いること
病になること
死ぬこと
そうしたものを見届ける人間として沿いとげること

その見届けることを
改めて人の手によって阻害しがちだという事実
それは、どこかで介護を生業にしている者たちの偽善の部分なのかもしれない。

自分たちの存在の意味をあらわす物を探し求めているからこそ
何かをしてしまう。

あえて何もしないということが善悪でもなく
介護技術も何もしらないということが善悪でもない

しかし、そこに本当の利用者さんの声なき声が活かされているかどうかはわからない。
だからこそ、その声なき声を聴き落とさないことが大切なのだろう。

一人ひとり違って当たり前
その時に提供方法を持っていたらいい
声なき声を無視するのではなく
いつでもその人のために、方向転換できることが必要

誰の方法が良いとか
この方法が一番なんて型にはまるほどつまらないことはないと感じる。


巻末近くでお年寄りの会話が印象的だ

「人間の世界がおもしろい。幸福が不幸で、不幸が幸福」と
  •   05, 2011 05:46
  •  2

COMMENT 2

Sat
2011.09.24
21:55

きみきみ  

ビジネスマナーさん

ありがとうございました^^
またお越しください

2011/09/24 (Sat) 21:55 | REPLY |   
Sat
2011.09.24
15:58

ビジネスマナー  

とても魅力的な記事でした!!
また遊びにきます。
ありがとうございます!!

2011/09/24 (Sat) 15:58 | REPLY |   

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