きみきみのぼちぼちいこか~

ケアマネや骨盤からだ丸ごと調整、ご近所の寄り合い場「寄ってっ亭輪楽」開催中

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あそび

  12, 2011 11:42
意見がに流されコロコロ意見が変わる人と

意見に耳を傾け相対的な道筋をもち

その中で”遊び”や幅を持たせる人に魅力を感じる

ぶれぬ芯は必要。これが無ければ

一貫性はなく

常に危うい橋をみんなで渡ることになる

それはそれで責任感の無さではないだろうか?!

だからこそ

意見を変えるではなく

意見に耳を傾けつつ、どう”遊び”を持たせるかが重要な課題


遊びというのは”余裕のある幅”と解釈している


業界に多い

○○流 ○○方式 ○○

○○先生

こういうあがめたてられている人は嫌いだ。

胡散臭い。

自分の中で確かな技法を薦めていくことや

持論を展開する。

他を相いれないという姿勢もある意味大切かもしれない

しかし

あえて他の技法を非難するのではなく

根幹が同じと考えるものについては

表現方法の違いであることが多いため

柔軟に議論したり

新しくお互いに融合していくことで必ず進展する。

そうしたものが垣根のない介護現場を作りだす

たとえばセラピストが一方的に権限が強くても有能な施設はできない

介護職員がどんなに頑張っても

どこかで受け入れることができない柔軟性を持っていないと

否定につながり意欲を減退させる

利用者ひとりひとり障害に応じて、性格に応じてもアプローチは変わるなら

それを学ぶ職員もやり方が変わる

だって職員だって肩や腰を痛めている人だっているし

若者もいれば年齢を重ねている人もいる。

若者だけが現場にいればいいってもんでもない。

年齢を重ねている人の経験値は計り知れないからだ。

そうしたことを踏まえながら変革して考えていける柔軟性

が垣根のない介護現場を生み出す。

おいらはそう思うんだ。

「そこまで面倒見切れない」

だったら見ない方がいいと思うし自分にはそんな能力がないので

管理職を外してほしいと懇願すればいい。

そんな人が上司にいるだけで現場の不協和音が続く。

人のやり方を非難するだけでは現場はうまく回らない。

変えていこうという目を持ちながら

人をよく観察して適切な言葉選びが人を育む。

そのためには人間関係も知る必要があるし、

自分の持つ役割も認識していないと難しい。


なんでもキッチリすぎるのは楽しくない

でも中途半端はもっと楽しくない

極めた中に余裕を持てることや

応用ができた時初めて面白くなる。

だから

なんでも”遊び”は大事

ハンドルだってガチガチでは余計に危険

人間も同じ

ガチガチの考え方は応用力がない。

だからね、遊びがないと危ないんだw


  •   12, 2011 11:42
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