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生きることにこだわる

  14, 2011 00:57
生きるってなんだろう
生活ってなんだろう


【生活】
 ①生きて活動すること
 ②人が社会の中でくらしていくこと。またその生計のありかた


その生活を豊かにすることを戦後の日本の気力を支えてきた。
しかし、なぜか今の社会はどこか混沌として殺伐としている。

豊かになったのに人は無力感がいっぱいであるのはなぜなんだろう・・・。

生きて活動する中で、仕事を行いその対価を得る。
仕事を行う意味を問うてみてもまともに答えられる人はいないだろう。

そして いの一番 に吐き出す言葉 
「生活のため」
では経済的に余裕があれば豊かなのだろうか?人はみな、満足するのだろうか?

おいらは違うと思うんだ。
生活とは生きているという実感なんだと思った。
それは果てしない満足感への挑戦。

呼吸をして生物としては生きているが、
生きる意味や生きている実感を得られないものがはたして生活なのだろうかと考える。


ちまたでよく聞く
”生活リハビリ”
調理を手伝うことや買い物に一緒に行くこと、掃除を行うこと
そんな【手段】ばかりクローズアップされている。

手段ではなく
ー誰とやる
ー何のためにやる
ー行うことでどうなる

そのことが生きている活力につながる 
つまり生活を潤しているというリハビリになるのではないかと。

しかしながら大半の施設はお題目は掲げていても
きちんと考えていない。

施設の中で平行棒の中で歩かせたり、転倒予防の体操を号令をかけながら行っている。
筋力を弱らせないようにするために気合いを入れて行う。
やる気のない人は置いてきぼり。

どうして何らかの障害を持っている人に対して
その障害に寄り添う介護ができないのだろうか・・・。
顕著に表れている麻痺や車いすという行動の障害だけでなく
認知面や精神面的な障害に対して配慮がないのだろうか。

加齢にともなう認知症というのは病気ではない。障害であるとおいらは思う。

そうした障害に対して、なぜ人は治療を求めようとするのだろうか。
生活の豊かさを考えれば、障害を持ちながら豊かに過ごすことを考えることが
プロの視点ではないのだろうか。

筋力を弱らせなければ幸せなのですか?
おいしくないご飯をやみくもに食べろと言われることは幸せですか?
あなたにとって介護されることは幸せですか?


あなた自身が明日何らかの障害を持った時
あなたは自分の命を断とうと思うだろうか?!
中には絶望の淵から生還できず選ぶ人もいるかもしれない。
しかし大半はいろんな選択肢の中から自ら断とうとはしない。
断てないということもある。

死ぬこともままならない状態で
筋力を向上すればどうなるかを示すことがなく
何をがんばれというのだろう。

あの人に会える
あの人と一緒に過ごせる
ほんのちょっとでもおいしいものを食べられる
楽しい思いができる
気持ちよく過ごせる


そのために必要なことを補ったり、自助努力続けることが
生きがいや豊かな生活という満足感につながるんじゃないだろうか?!

おいらはそう思うんだ。
だからこそ、進行する加齢という障害に対して、
乗り越えていける”生活”を考えていく必要がある。

それぞれのペースがあり
それぞれの生き方があり
それぞれの考え方がある


そのことを支える仕事がケアで、おそらく高齢者には看護より大切な考え方なんだ。
だから大切な仕事なんだ。

友人に一本の電話を入れた。
彼に尋ねてみた、
「仕事いそがしい?!」
「うんうん割とねぇ♪」
「そっかぁ、何が忙しいの?!」
「えっと、そうやなぁ・・・なんか雑務やったり、調整やったり、人間関係やったり・・・」
「へー事務屋さんみたいね」
「事務屋じゃないよww」
「ね・・・なんで介護の仕事してるの?!」
「うんと・・・これしかできないからなぁ~♪」

これしか?!(#`-_ゝ-)ピキ
あんた・・・舐めてんのか?!


これしかというのは、たんに作業の話をしているのです。
あくまで介護は作業だというのでしょうか。
それが生活リハビリをうたう施設の集大成なのでしょうか。

家族とともに
その人の生活を考えるべき
サービス事業者が利用者より優位に立ち
従事者に合わせる介護を行う。

利用料や保険料から仕事の対価を得ているにも関わらず
弱者である人たちの側に立たず、
あくまでケアプランという 【作業工程表】 を作っている。

それでいいんだろうか?
おいらは友人に問う。

「それがあんたら15年の結果か?
胸張れる介護やっとのんか?
あんたの親呼び寄せて自分の施設利用させられるか?
施設は何のためにある?
なんの障害もなく、おとなしい人やったら預かりますって
人権侵害もええところやろ。おとなしい人やったら、
家族は金出してまで利用せんわっ。家で見るわ!」


誰も彼らにこんなことを言わなかっただろう
本来なら消費者である利用者が感じることかもしれない
しかし家族や利用者はモノ言えぬ人たちが多いは明らかであり
本来は自問自答すべき仕事である。
日常の人間関係や目の前にある作業にしか囚われていない人に
長期的な目標やプランなどを立てることができるわけがない。
自分たちの仕事について評価もモニタリングも行わず、希望もない仕事に
”豊かな生活”を考えれるわけがない。


おいらは向き合うよ
とことんまで向き合う
逃げ出すならそれもよい
馴れあった関係で、大切なものまで無くすぐらいなら
友人でなくていいとそう告げた

誰のための介護だ?
何のための介護だ?
なぜ介護をやってる?


介護しかできないというのなら とことん介護にこだわれ
学び考え
己に問え
疑問を持ち
理由を考える
実行し評価をせよ
また同じような作業を行い
きちんと再評価する

ループの中でありながら必ず変化していくため
何重も同じところで円を描くのではなく
コイルのように少しずつずれて行く
それがプロの仕事ではないですか?


「あたしはこういう性格だから、はっきり言うよ。」
「・・・知ってる・・・うん、そうやな・・・うん」
ここらで一発
男なら気合い入れてみろ!
女なら度胸でかましてみろ!
一生のうちで数回、本気で生きてみようや。

明日何があるかわからぬ世の中
何があっても
面白おかしく生きれるっていいことじゃないか
眉間にしわ寄せてつまらない顔してないで、楽しいことみんなでやろうよ。
あのころが懐かしいというなら、それを上回るものを自分たちの手で構築しなおせ!
それを勝ち取るには本気で闘わなければならない時がある。


「毎日新聞 かいごのいろは 11」

介護を20年されてきている家族の介護の記録のシリーズが始まりました。
たかだか少ししかかかわらない職員が点であってはいけない。
こうした年月の一部である責任を知るべきだ。。。。
  •   14, 2011 00:57
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