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親の背中のつづきのつづき

  14, 2010 08:15
【親の背中のつづき】はこちら
《5時台に一度更新しましたが、再編集してもう一度更新しております》

母ちゃんのミッションは確実に功を奏した。
もともとの主原因である友達を除いて、少しずつ挨拶を返してくれる人間は増えた。
別のクラスにいた、小さい頃から一緒に遊んでいた友人が休み時間遊びに来てくれた。

「一緒に居たら無視されるんちゃうか?!」
「(* >ω<)=3 プーそんなん気にするなんて、きむみちゃんらしくないで!」
「ありがとう^^」

素直にそんな風に言葉にできた。
進学と同時にクラス替え・・・。仲良しの友人と過ごせるうちに
少しずつ少しずつ雰囲気は楽になり、逆に無視を伝令した者がクラスで
異質なものになっていった。

母ちゃんは自信満々に ”どや顔(* _ω_)アヒョ” である。
それでも母ちゃんに素直には喋れなかった。
けなされることは続いていたし、「あほ」なんて言葉は日常だったから。

「ええか、いじめなんてもんはな負けたらあかん。それと親に言わないのが一番あかんのや」
「・・・・」
「親に言うて、先生にいうて、戦っていかなあかん」
「・・・・あほか・・・そんなん言うて倍になったらどうするねん」
「倍でええ!更に言うていくんや!」
「学校行かれへんやん」
「学校行く権利はあるんや。堂々と行ったらええ!」

理屈はそうであっても、心がついていかないということに母ちゃんは慮ってくれない。
オイラはたまらず泣きながら話した。

「今まで話ししなかったんは、あんたが、
あたしをなじるからや。あほとかなんとか・・・そんな環境でどないして相談できるねん・・・・」

「ほんまにあほやな。」

母ちゃんはゆっくり話し始めた。

「あのな、子供を守るのは親の責任や。
あんたが虐められとるんやったら一緒に戦ってやる。
学校の先生にいつでも言いつけに行ったらええねん。虐めは隠したらあかん」

「ますますひどくなるからそんなことせんでいい」

確かにどちらがどう正しいかわからない。
表面化することでいじめがエスカレートすることだってある。
しかし母ちゃんの持論は違う。
問題の表出をしなければ、学校もいじめの加害者も引きづり出すことができなければ
問題は解決しないと言い切ったのだ。

大人の世界では一人で居ることはそう難しいことではない。
しかし、まだまだ子供という世界では、どこの分類に属するかで優位さが変わってくることがある。
そうした熾烈な権力争いが水面下で行われていることに大人は気付かないし、
気付いても問題を表出することは難しい。

母ちゃんはあえてその属することを辞めろというのだ。
「あんたが嫌なんやったら先生に言うのはやめといたる。
でもな、是だけは言うとくで・・・親子やからボロクソにいうよ。
でもな、子供を許すのは親しかできへん。あんたが悪いとは口では言うけど、
一番可愛いのは誰でもない・・・自分の子や!」


親と自分の意見を自分の事例を通して向き合うということは
このことがあって初めてだったかもしれない。

「この先・・・たとえ、
あんたが犯罪者になっても、そのときは『なんでそんなことした!』って
なじったとしても、絶縁状態になっても・・・親子やから、親であるあたしはいつか
あんたを許す。ソレが親っていうもんなんや」


母ちゃんからそんな言葉を聴くとは思っても居なかった。

「人を傷つけても、結局は親やからあんたをいつか許してやれるねん。
他人ではそうはいかへん。だから、死ぬっていうことを考えたらあかん。
死んだら、あんたを許すどころか、憎むようになってしまう。だって自殺された
周りの人間はどれだけ被害をこうむるか・・・・考えなあかん。
死ぬぐらいの力があるんやったら、生きとったらええねん。
生きてさえ居たら、なんとでもどーとでもなる。
しんだらおしまいや!ええな、だから、あんたは生きなあかんのや!」


死にたいと考えていた自分の考えを見透かされていた。

人の心の中は何を思っているかは言葉にしなければわからない。
良いことも悪いことも。
もちろん母ちゃんの言い方は、どんなに辛い状況の人間であろうが同じだ。
そういう態度を推奨しているのではない。
時代の流れとともに人との付き合い方も多様化し、心の病というのも
分類され治療される時代なのだ。

「それからな、親は初めから親なんとちゃうよ。
子供がおって初めて親になれるねん。親も子供から勉強してるんや。生き方のな」


介護に通じるものがある
介護もね生き方なんだ。
子供が親に迷惑をかけるけれど
親もまた子供に迷惑をかけることがある

お互い様

だからこそ向き合うということの大切さを教えてもらった。
親子だからこそ尚、歯に衣を着せない言い方が衝突することは今でもある。
でも親子だから次の日普通に会話することも出来たりする。

人は生まれて初めて付き合う人間は母親である

『介護職が母親的感情と専門的知識を持ち合わせておく必要がある』
三好春樹氏は言う。

どんなわがままも許せる、向き合って衝突しても
それが ”〇〇さん、らしいなぁ(*≧m≦*)ププッ”
と笑える関係性が求められる

人は共感と受容であるが
向き合う心も持ち合うことが
人間らしいのではないかとオイラは思う

人は
一人で生きているようで
一人で生きてはいけない
そっと、誰かがそばに居る安心感
支えられていると感じたとき
孤独は無くなる

人は人を陥れることも出来れば
人は人を許すことが出来る

最期はどちらがいいだろう・・・・。
オイラは許せる人間でありたい

それが、
親の背中を見ながら
人生の先輩であるお年寄りをみて学んだこと

死ぬまで何度笑えるだろうか
ずっと笑ってられない
でも一瞬一瞬笑える瞬間が何度もあれば
おもろい人生やったって思えるんじゃないだろうか

人生はそう悪くない

人と人の中にいることで
存在価値を認められることで
無条件で許されることで
そう思えるんじゃないだろうか・・・。

だからオイラはその気持ちを大切にしたいんだ
  •   14, 2010 08:15
  •  2

COMMENT 2

Tue
2010.12.14
23:02

きむみ庵  

むつみさん

コメントしにくいブログでごめんなさいw

オイラもよくわからないけど
オイラの介護を語るにはこのお話しは外せないなぁって思ったんですw

母ちゃんは好きだけど
嫌いで
一人立ちしたいけど
いつまでたっても子供は子供なんで・・・
怒られるわけですよっw

なんども読んでくれてありがとう^^

2010/12/14 (Tue) 23:02 | REPLY |   
Tue
2010.12.14
22:55

むつみ  

No title

シリーズを何度もなんども、読み返していました。

なんでかな?

コメントしようにも言葉が見つかりません。
でもあえてコメントしています。

>介護もね生き方なんだ。
なかでも、この言葉に妙に心を惹かれます。

分りずらいコメントですみません。

2010/12/14 (Tue) 22:55 | EDIT | REPLY |   

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