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自己紹介

  11, 2010 15:31
【きむみ庵のおいたち】

30数年前・・・
平々凡々が一番という両親 最強の母・母ちゃん と 優しい父 父ちゃんの間に生まれる。
6歳離れた兄ちゃん(にぃに)は早くから寮生活だったためほとんど一人っ子状態で育つ。
にぃには 頭がいい
おいらは計算が苦手で、頭も器量も要領も悪い子供だった

おいらが4歳の時、おかんの母、ばあちゃんがリウマチの診断をうた。
そのころははっきり言って治らない難病とされていた。
「介護」というものは家族に託され、一人娘のおかんがつききりの介護をした。
詳しくは↓こちら
おいらの小さき頃

母ちゃんは一つもつらい顔みせなかった。
「しょうがないでしょう。一人娘なんだから。病人さんと同じ生活してたら大丈夫。お父さんが
お前たちみてくれるしね」
大人になってつぶやく言葉は
「お前たちをどこにも連れて行ってやれなかった」
だった。

そんなこんなで、おいらはすくすく育ち、
商業高校に進んだ。
当然卒業の際就職することを母ちゃんは望んだ。
ただ、おいらは・・・どうしても進路を決められないでいた。
そんな時衝撃の出会いがあった↓
高校生の時のおいら

おいらは専門学校に入学を考えた。
でも母ちゃんは進学に反対し、入学金がないと話し始めた。
進路の先生に相談したら、”職業訓練学校”で介護福祉士科があると聞き受験をすることになった。
この受験の年
神戸の震災が起きたのだった。
交通網が発達せぬまま受験に向かう。

そして2年間専門学校に通い。介護福祉士取得。
就職の際安定を求めて、某市社会福祉事業団に入職。
介護老人保健施設で8年立ち上げ時のスタッフとして働いた。
今でいう痰の吸引も、経管栄養もいれた、水銀の血圧計も図れるし、薬剤師からもらった薬まで
朝昼晩に分けたり、清潔ガーゼなどの滅菌も業務に含まれていた。注射や点滴以外はすべてやった。

優遇されていたが、働くことに疑問を感じていた。
ぬくぬくとした環境で働くことでいいのだろうか?!
年功序列というのも気に食わなかった。
根っからのあまのじゃくが少しずつ顔をだした。

当時結婚して2年目。
実は主人も同時期に退職した。
1年ぶらぶらして、主人が再就職を決めおいらがパートに出ることになった。

某市社会福祉事業団の仲間が別のA病院の立ち上げる老人保健施設のスタッフとして働くことになった。
レクリエーションも何もできないから、できればパートでいいから手伝いにきてくれないか。
と声をかけてくれた。

ケアマネもなんとか合格し、研修に行くためには所属と言うのが必要だったため、パートで採用。
半年間働くが、新しく来た主任がとんでもないやつで、辞めようかと悩んでいたところ
通所リハビリを開設するという。
週3日8時間労働するという約束で、通所リハビリへの転属を願いでた。

通所リハビリでは職員は1人
後は5日勤務のおばちゃんと、3日勤務のミセスだけだった。
看護師はなんと副施設長が勤めるという。
そこにおいらが加わった。
送迎車は病院・老健・デイ共有のノアという車種1台のみ。

副施設長は老健の相談員の介入を嫌がり、自分がプロデュースするといいだした。
が・・・そんなに甘くない。訪問は滞り記録もできていない。
ほかのスタッフも医療経験者がおらず、介護についておばちゃんに頼り切ってる感じだった。
理想はあるが現実的でない話をするおばちゃん。

業務が回らなくなり、事実上これではまずいということで
おいらが書類関係の整備を始めた。相談員を設置しないことにはケアマネからの情報が一切
入らないからだ。
物のようにお年寄りがやってきて預かれという・・・それは無茶というものだ。
要介護4であれ5であれ個浴にいれてきた。
それしかないからだっ。

結局配偶者控除を軽くオーバーし行きがかり上正社員となった。
正社員になったら、副施設長はさっさと自主退職した。
前回の某事業団と違い、最低賃金の給料形態。
初年度のボーナスは税金をひかれて、”5000円”だった・・・。

それから半年後主任と言う役職がついたら、超過勤務をつけるなと言われた。
会議にも出席し、老健の人々は口々に
「通所リハビリのことはわからないからやってね」
となんちゃって管理者が上乗せされた。

そのころにはスタッフもおばちゃん以外が引っ越しなど理由に退職し
少し増えていた

そのころの仕事内容
こころが壊れていく様

まぁ前向きに働いてるつもりでしたけど
かなりからだはガタが来ていました。
精神的に・・・。

家を引っ越すことになり、2年半で退職しました。
1年間ぶらぶらして・・・昨年予防プランの専任のケアマネになりました

とまぁ
こんな感じですw
  •   11, 2010 15:31
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つどい場をやるぞ

  10, 2010 00:26
「あたしね・・・つどい場を作りたいんだ

そうNPO法人つどい場さくらちゃんの主催 丸尾 多重子さん(通称まるちゃん)に伝えたのは1カ月前ぐらいのことだ。

ずっとこの言葉をつぶやくことをためらっていた・・・
どうしてもつぶやけなかった。

今までおいらの生活は3日坊主という言葉が代表的で小さいころから
「お前はなにもできない。3日坊主ですぐ飽きる!」そう親から言われ、習い事も何もさせてもらえなかった。

ピアノや習字を習いたいと思う反面・・・
どこか飽き性な自分にはできないとあきらめていた。
それに通知表はいつも「落ち着きがない」と書かれていた子供だった。

小さなころ家にはリウマチで寝たきりのばあちゃんがいた。
泣き虫のおいらはいつもばあちゃんに怒られていた。
それでもばあちゃんのところにはテレビがあり、虎視眈々と手伝いをしながらテレビを見ようとするしたたかな心が働いていた。
そんなばあちゃんとの関係も少しずつ改善されたが、在宅でばあちゃんは静かに息を引き取った。
福祉がまだ措置の26年前のお話。

両親の立派な介護をみつつ
おいらは親の環境の中で保護され甘やかされて育った。
なんでもかんでも中途半端。
そんなおいらが「介護・福祉」という業界で生きていける。一生の生業にする!と決心した出来事は
高校三年生衝撃的な出会いだった。

それから飽き性なおいらが、飽きもせず
じじばば介護をしている。

それなりに理想もかかげ
偉そうなことも言って来た。。
世間を変えたいと思いつつ・・・行動してこなかった。
自分の生活を犠牲にしてまで介護をよくしたいなんてつぶやくことができなかった・・・。

”おいらにはできる力がある”とどこかで願いつつ

”絶対中途半端なおいらにできっこない”と思っていた。

常に自問自答
本当にこれでいいのか?
介護をよくしたい
介護の現場の素晴らしさを伝えたい
現場を離れていった仲間が、また戻ってきてほしい
介護や育児で離れていっていいのか?
本当に社会はお年寄りや人にやさしいんだろうか?

そんなことをいつも考えいた・・・。

だからおいらは声出すことにした

お年寄りを地域で見ることができるボランティア集団を作りたい

家族や介護従事者が知識を共有できるような情報を発信したい

家族や介護従事者や地域の住人、

障害を持つ人やどんな人でも・・・・さまざまな人をつなぐ輪を作りたい


そう思ったらいてもたってもいられず、まるちゃんに相談していた。
初めて声を出したんだ。
地域につどい場の必要性を感じ、語った夜
旦那に相談

即、却下
そしてこの本に出会った

社会起業家スタートブック――自分と社会を活かす仕事社会起業家スタートブック――自分と社会を活かす仕事
(2010/07/26)
百世瑛衣乎(ももせ・えいこ)

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面白くて一気に読破w

そう自分のやりたいことを明確な形にしていこう。
時間はかかってもいい。
回り道をしてもいい。
自分のやりたいことをどうやれば叶うかという方法を探ろう。

つどい場の名前は決めています

つどい場 輪楽

人の輪を作りつなぎ楽しみつどう場

そんな意味を込めて・・・・。
まだまだおいらの宣言だけです。

おいらの住むこの街に「つどい場 輪楽」がいつの日かできるまで
少しずつ形になる記録となるようにこのブログを活用していきたいと思います。
  •   10, 2010 00:26
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出勤

  09, 2010 09:45
ふぅぅぅ(*´Д`)=з

休み明けの出勤は気が重い


月曜日の登校が嫌いな子どもだった(笑)

オイラは今
予防プラン専門のケアマネとして一年前に採用された(*u_u)
週3日
5.75時間/1日
でギリギリ配偶者控除にひっかかる

旦那さんは基本給が安い工事勤務(*u_u)不況のあおりで残業もなくなったから収入激減

控除内で働くか、
二人でガッツリ正社員で働くか(^o^;)というところ。。


前者を選んだが、にわかにおいらの周辺が変わりつつある。

今の担当者数は30人(*u_u)


でも…。
ソロソロ出勤なので続きはまた次回
  •   09, 2010 09:45
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